海勢頭豊さんからメッセージ
世界から原発なくそうコンサートに出演する海勢頭豊さんのメッセージです
タンポッポ
チェルノブイリ原発事故から数年経った1990年。風下の放射能汚染地である白ロシア(現ベラルーシ)の子ども達が、次から次へと甲状腺癌や白血病に冒されて死んでいく惨状を伝えた手紙が、義弟に送られてきた。
義弟はモスクワ科学アカデミーの数学研究員の勤務を終え、名古屋に戻ったばかりであった。だが、問題は手紙の内容にあった。
子ども達を治療しようにも、レントゲンはおろか医薬品も無いので、救援して欲しいとの切実な義弟の同僚からの訴えだったのである。
電話を受けた私は早速救援コンサートを企画し、義援金を集めることに奔走。そのコンサートのテーマ曲として「タンポッポ」を作ったのであった。
しかし91年の晩秋、直接ミンスクやゴメリの病院を訪ねた時は、さすがにこの歌は悲しすぎて歌えなかった。
軍拡や宇宙開発競争で疲弊した崩壊前のソ連で、汚染された村の人達の優しさは、沖縄と変わらなかったからである。それが悲しすぎたのであった。
海勢頭豊
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